長年にわたる自分のゲーム遍歴の経験上、言えることが一つある。
それは結局ゲームなんてどこで誰と、どういう状況下でやるかが全て、プレーの質やゲームの世界的な価値など無意味だと言う事だ。
そもそも今の日本ではもうソーシャルゲーム、ソシャゲが圧倒的な多数派になっておりゲーミングPCでコンシューマーゲームをすることが至高だという時代ではなくなっている。
ファストフード店でワイワイ仲間たちとソシャゲ>>>>>1人でハイスペックPCの前に座って無言でFPS
これが現実であり、わざわざ今時ハイスペックなPCを揃えたり、据え置き機の前に陣取ってゲームをすることなどもう今日日スタイリッシュなことではないのだ。
どちらかというと自分はこれまで「ゲーミングPCの性能を追求しハイレベルな戦いを求めることがゲーマーの真の姿でござるよ」というタイプだったのだが、イマドキそこまでゲームに情熱と予算を傾けられる人ってそう多くは無いよなぁと気付き始めている。
なんというかもはやPCやオンラインゲームというのは無用の長物で、「最近の若者はスポーツカーに夢を見なくなって悲しい」という前時代的な人々ぐらい暑苦しい物なのかもしれない。
「ゲームはちゃんと修行して極めるべき」という思想自体がもはや時代遅れだ。
そんな時代に適応しようとしているのか、今の自分が一番欲しいゲームが例のニンテンドーSwitchになっている。出荷台数が増え空前のブームだとか言われているが、ソシャゲ全盛の時代にコンシューマー機がこれだけ躍進したことは明るい話題だ。
しかもネオンよりも、グレーの方が欲しいという完全に陰なタイプである。
今の自分の選択肢で迷っているのがパソコンのグラフィックボードを強化するか、素直にニンテンドースイッチの流行に染まるのかで、正直携帯ゲーム機の利点の大きさに壮大なスケール感というものは勝てないと気付き始めている。
結局のところいくら据え置き機やPCが凄くともそれって家でしかできないし、持ち運びができないという大変さは現代人のライフスタイルにとって厳しすぎる。
今になって思うけども、一番ゲームしていて楽しかった時代って小学生の頃に携帯ゲーム機を持ち寄ってわちゃわちゃやってた頃だよなぁと懐古してしまう。
あの頃のゲーム機と言えばライトの性能はそこまで明るくなく、屋外ではかなり見にくかったはずだ。しかし別にそれを気にしたことなどほとんどなく楽しめていたし、その空間が思い出に残っている。
逆にどれだけ最高級の環境を作り出そうとも部屋の中でやるゲームは味気が無い。
今の自分が最も情熱を捧げているゲームタイトルといえばEAのFIFAシリーズでこれまではPCでしてきたものの、もうこれも本格的にスイッチ版に参入しようかなと今の自分は考えている。
ゲームに大事なのは「非日常感」であり、その世界観に没入するためには日常に対する変化が必要になる。
正直に言えば毎日同じ部屋でプレーするのは完全にルーティンワークで、飽きてしまう。いつも同じ場所でやっていればそりゃ新鮮味はない。
しかし携帯ゲームは少し持ち運ぶだけで環境をがらりと変えられる。
例えば適当にファミレスやファストフード店に行けばいいし、軽自動車であってもどこかいったことがないところにドライブして、1人であっても車内で何か飲んだり食べたりしながらだと新しい刺激があって楽しい。
そもそもサッカーやスポーツ自体が、冷静に分析するより、面白い状況下で見たほうが思い出に残る。
近々ワールドカップ始まろうとしているが、結局のところ真面目に分析してみた試合よりも、見慣れていない頃に見た試合の方が今でも憶えている。
緻密な戦術分析をしながら見る近年のワールドカップよりも良くわからないながらも見ていた頃の方が面白かったし、ゲームもネットの攻略情報でオンライン対戦に適応しなければならない今よりも、ローカルな環境でやっていた頃の方が楽しかった。
学生ではなくなると中々同年代や同じ趣味の人と集まってゲームをするというわけにはいかない。
しかし自分のペースでいろんなところにいってちょっと気分転換をするだけで結構違うなぁということに今更ながら気付く。
人間って同じ場所で同じことをし続けるのって疲れると感じるようにできてるんだなぁと思うというか、移動ができるだけでだいぶ視野が広がるなと思う。
やる場所や環境、状況を変えるだけでまるで違うゲームをしている気分にすらなる。
そういう刺激が自分のプレーを今までなかったものにしてくれるのかもしれない。