本田圭佑ってやっぱやる事予想つかねぇなぁと毎度驚かされる。
ワールドカップから帰って来て以降、1日9時間プログラミングの勉強をしているらしく、とにかくこの人は様々な分野への関心が高い。
ここ最近の日本人のプログラミング熱を感じ取ったのだろうか、この時流に本田は乗ろうとしているのかもしれない。
子供の習い事にプログラミング教室が増えているのはもちろんのこと、SNSなどでもプログラミングを勉強したいと語っている人はよく見かけるし、何かやる事ないかと探している人にはとりあえずプログラミングがすすめられることが多い。
自分の意見としては、プログラミングよりもコンテンツで何を作れるかのほうが大事だと思っていて、いずれAIに代用されるだろうし出来る人に頼んだほうが早いと考えている。
本田圭佑の場合9時間も勉強するほどモチベーションが高いが、何か漠然と勉強していたら役に立つのではないかと考えている人が多い印象を受ける。そしてそういう人は結局勉強せずに終わる。
更にプログラミングは今後専攻する人が増えるのでコモディティ化が進み、特別なスキルとしての希少性は上昇していかないのではないかと自分は予想している。
要するに皆ができるようになると、普通の実力では特に必要とされないということだ。
一昔前にとりあえずTOEICで高得点取るために英語勉強するみたいな風潮があったのが、今はプログラミングになっただけなのではないかという印象を受けないことも無い。
もちろん本田圭佑の場合、何らかのビジョンがあって高いモチベーションもそこにはあるので、こういった行動の場合非常に効率が良い。ただ好きでもなく目標も無い人がやるのはどうなのかなというのも正直な本音で、結局使えるツールがいくらでも多い時代にはコンテンツの中身作れる人になったほうが得な気はする。
逆に言えばコンテンツや価値を創造できない状態で、プログラミングだけできたとしてもその内AIや安価な手段に代替されるだろう。
例えばプログラミングは一切できなくても、インスタグラムを上手く使いこなせるという人の方がこれからの時代は重宝される。
先日落合陽一とホリエモンが対談するという著書を読んだのだが、まさにこのことが書かれていた。基本的に2人とも「一つの事を続ける事が美徳だった時代は終わった、むしろそういう考えの人は時代に取り残される」という論調で、「いろんなことをに興味があり、積極的にチャレンジする人が生き残る」という趣旨のことを語っていた。
その一方でAIに代替される仕事としてプログラミングは入っていて、スキルとしてのコモディティ化は進む時代における差別化が問われている。
更に言えばホリエモンの話に本田圭佑のエピソードも登場しており、現役時代に様々なビジネスをすることに対する批判についても語られていた。
自分が本田圭佑を好意的に見ているのは「現代的な人材」だからだと言えるかもしれない。
これから必要とされていくのは本田圭佑的な人材であり、ホリエモンや落合陽一とも近い部分がある。それを怪しいと取るか、新時代的な感覚と受け止められるかというのはセンスの違いだなと思う。
ちなみに自分は最近、新しい時代のツールとしてドローンに非常に関心が高まってきており、時代の流れを予想するというのは楽しい事でもある。
その意味で本田圭佑がプログラミングを覚えた先に、何を思い描いているのかというのにはとても興味がある。
この話題の本質は別に本田がプログラミングを始めたことや、今後のプログラミングの重要性についてではない。
何に"伸びしろ"を感じるかがセンスであって、そこから何をしていくかというビジョンが必要な事であったり、そもそもいろんなことに関心を持って、その積み重ねを複合的に組み合わせていくかということが本質なのではないかと。
別にプログラミングじゃなくとも、個々人が自分なりにいろいろな興味関心を増やしていくことが生存戦略として問われている時代になっているというのが本質だ。
いつも同じ習慣で終わっていると脳が硬直するというのはよく言われていることで、新しい刺激が人生を面白くする。
現役時代だからこそいろんなことをするという今までのアスリートにはない先進的なモデルとして本田圭佑は10年後評価されているだろうし、それが普通のことになっていると思う。
つまり色んなことをする人をケイスケホンダにしてしまえばいいんです、それが人生100年時代の普通の考え方になっていくんじゃないかなと、それが個人だけでなく社会の伸びしろですねぇ!