elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

飼い猫君に顔を噛まれた

甘噛よくしてくる猫だけど、ついに顔を噛んできおったねこいつ笑

ネコの世界広しといえども顔を噛まれるのは人生初だ。

 

まず自分は猫に意図的に噛まさせるフェチがある程でコミュニケーションとして楽しいし、その後ペロペロと舐められて「今のは遊びにゃで」みたいな感じで猫からお詫び舐めをされる。

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逆にこっちも猫にイジる感じでいたずらもよくして、いじられいじり合いのパートナーだ。

イジるといっても尻尾の付け根の硬い部分をポンと叩いたり、頭ゴシゴシしたり、足にまとわりついてくるとき猫の手を軽く踏んだりする。

猫って手を触られるのめちゃくちゃ嫌がって、本当に軽く乗せるレベルでも「やめんにゃさいそれ」って感じですぐ離してくるけどそれが面白くてまた踏む(乗せる)みたいな繰り返しだ。

でも膝に乗ってきたとき包み込むように手を繋いであげると永遠にゴロゴロ鳴いている。どういう感じで手を触られたいか、というのはまさに人間の感覚と同じだ。猫の手は人の手と同じくらい敏感で大切だ。だから爪切りめっちゃむずい笑

膝に座ってるときか、布団を乗っ取られて寝てるときがチャンスだ。時には獣医に行かないと切らせてもらえない子もいるほど。

そしてこのことを書いているときも横に白い餅が垂れたようにスライム的な物体として横たわっている。

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顔を舐めさせるのはもはや日課だ。

よって来たら撫でたあとに自分が顔を寄せて、ザラザラの舌で頬を舐めてくるけど大抵もうギブってぐらいまでやってくる。ある種の拷問というぐらい、もう痛いぐらい無理だってぐらいまで舐めてくるのよ、という惚気話

おっさん猫に舐められるおっさんという地獄の構図だ(一応まだ3歳児前)

 

こっちは尻尾の付け根を撫でて、猫は自分の頬を舐めるという同時に通じ合う時もある。その後は自分がただスマホでネット見ているときやテレビを見ているときは横にいる。

そして主導権はこっちにあるので(猫も自分が主導権の持ち主だと思ってる)膝に乗りたいときは乗せてやる。そういうやり取りをしているうちに猫は乗りたくてたまらない猫になったし、自分も実はというと乗られたくて仕方がない飼い主だ。まぁ通常は自分から「もうそろそろ降りてくれ」と強制的に追い出すが。

こっちが疲れたらすぐ脇腹持ち上げて、はいそっち行って水飲んだり爪とぎしてきてなーという感じだ。こういう感じがちょうどいいバランスだ。

 

とまぁ、信頼されるまで長かったけど、されればべた惚れされる。

本当に人間と話してるのかというレベルで気を使えたら猫も気を使ってくれるし、日本の在来種(ジャパニーズボブテイル)は話好きが多い。尻尾もみてもまっすぐだから純粋な日本猫では無いけども、こいつは和顔だしビビリだけど心がわかりあえば超話し好きだ。意味がわからないぐらいお互い伝わらない言語同士話す。黙ってるときも尻尾でなんか伝えようとしてる。その尾を軽く掴んで遊ぶ自分

「なんなんこの尻尾や、おい、おっさんよぉ?笑」みたいに人間に話しかける感じそのもの(自分は愛猫のことを強く言うときはおっさんと呼んで甘やかしているときは名前に君付けだったりきゅん呼び、あるいは呼び捨て)

 

こうしていじり合うことが真のネコミュニケーションであって、顔噛まれるぐらい上等、人間から腕を噛ませてその後「じゃあ腕、舐めろよ」って差し出してペロペロさせるぐらいのやり合いがなきゃわかりあえん、それが猫ってもんよ笑

 

猫ってのは上にも下にもなってはいけない(至言)

犬みたいに上下とかそんなんじゃないのよ、ただ一緒にいたいだけ、なんとなくお互い心地よいからいるだけ。そう、なんとなくいるだけの存在だ。

結局お互い好きで、こうして自分がスマホ持って離れた場所で立ちながら書いていると「おひゃひゃ〜」と言いながら足元に来るしその時はしゃがんで頬をよせる。

抱っこしてやるときもあれば脛で馴れ合うときもある。

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もちろん、猫パンチを顔に食らうときもあるし、拳でやり合うときもある(自分から仕掛けるときもある、というか自分の態度を察して殴ってくるのでそんなことしなきゃ殴られない)

特に寝転がってるとき猫パンチモードに入りがちなんでね、このおっさん。でもその後すぐ仲直りで、最後は膝に座ってきてこっちも撫で撫で。保護猫で慣れないときから2週間ずっと付き添ってたからこその信頼関係であり阿吽の呼吸だ。猫を下に服従させたいと思っても駄目だし、猫様の下僕になっても駄目。究極、お互い勝手で気が合うときは一緒にいる同居人と言うのが理想だ。

お互いの気ままをどんなときも尊重しあえて、いや、結局お互い好きに生きると言うのが愛猫家のスタイルだ。

 

それは当然飼い主としてのあらゆる責任は全うした上で。ただ昨今の「(人間が)亭主である猫様の下僕である」という考えだと上手くはいかないし、思いやりがあって勝手な人間と勝手な猫(だけど思いやりもお互いある)っていう関係なわけである。