先日行われた親善試合のマリ代表との試合は、1-1という結果に終わり多くのサッカーファンが落胆している。
ワールドカップ前のテストマッチという側面もあり、グループリーグで対戦するセネガルを仮想した試合だった。
今回の試合に対する意見や感想の多くが不満や怒り、それすらも通り越して呆れた感情に満ちている。
アフリカ予選でグループ最下位に終わり、何のモチベーションも無いマリ代表に最後まで負けていたというのはショッキングな出来事だ。
しかしここで見落としていることがあることも指摘しておかなければならない。
まず今回の日本代表は前半に関しては十分にマリ代表を押し込んでいたということだ。
ハリルホジッチの戦術がまるで機能していないというような見方をする人も多いが、PK献上までの時間帯に関しては非常に現代サッカーの流れを汲んだ緻密なサッカーになっており、見る人が見れば十分に面白い内容だった。
確かに有名なスター選手がボールを持って盛り上がるというサッカーではないが、一人あたりのボールの保持時間が短く、ボールを持てばすぐにリアクションするアップテンポなサッカーは見ごたえがある。
守備の時間帯におけるデュエルも含め、止まる時間帯が無くスピード感に溢れている。
フラストレーションがたまる時間帯は多いが、それをじっくり見ることもサッカーの見方だ。
ただしサッカー観のようなものがまだ醸成されていない日本では、まだ有名選手がボールを保持する華やかなサッカーを求める傾向がある。
スター選手が打席に登板して盛り上がるようなスタイルとは違い、今のハリルジャパンはいい意味で選手の個性を感じない。長友佑都や長谷部誠のような選手も良く見なければいることに気付かない時間がある。
それはドイツ代表のスタイルとも似ており、有名選手がいることを感じさせないサッカーが現代サッカーのトレンドだ。
一見するとつまらないように見えるがPK献上さえなければ後半は十分な可能性があったはずであり、ワールドカップ本戦を見据えるならばこういうサッカーに慣れていかなければならないだろう。
こういった試合が3試合展開されるというのは大体予想がつく、そんなつまらない時間帯を待ち続けることもサッカーのあり方のように思う。
更にPK献上までは見どころが多く、むしろW杯本戦で機体ができるような試合を展開しており、少なくとも前半のマリ代表はアフリカ予選で敗退したことが納得できるほど脅威を感じなかった。
しかしアフリカ系選手はメンタル面で波に乗ったときはノリノリで仕掛けてくることが多いため、後半のマリ代表は見違えるほど迫力があった。
その一方で失点すれば意気消沈し諦めてしまう日本人は迫力を打ち出すことができず、視聴者にとってはつまらない時間帯が続いた。
収穫があるとすれば中島翔哉は負けている時間帯でも果敢にトライしていたことだ。
得点はもちろんの事、中央からのミドルシュートはポルトガルで見せているような破壊力のあるシュートだった。自ら中央でキープし、ターンの末意外性のある方向にパスを出し最終的には詰めてアディショナルタイムに同点に導いた。
前半の宇佐美貴史もセンスを感じさせたし、大迫勇也は着実にレベルアップしている。
今の日本代表のサッカーは見る人によっては十分に面白い、スター不在だと言われながらも実は地味ではあるが充実した駒がそろっている。
しかしそれはあくまで勝った時であり、結果が無ければこのサッカーには何の意味もないだろう。
ただし今回の試合はあくまで親善試合に過ぎない。
データが揃えばいいだけの試合であり、親善試合で華やかに勝ったからワールドカップに期待しようといういつもの流れはそろそろ終わりにするべきなのではないか。
実はワールドカップ前の親善試合というのは活気づけるために行っているわけではなく、あくまで試験場に過ぎない。
その一方でやはり盛り上がりが欠如している停滞感に寂しさを感じないと言えば嘘になる。
そもそも今年のロシアワールドカップに対して盛り上がっていくようなムードが無いのは、多くの人が日本代表についてしか考えていないからに見える。
世界を見渡せば今年のW杯は非常に魅力的なチームに溢れている。
もっとそれらについて議論したり期待したりすることが必要なのではないか。
期待できない日本代表ばかり考えているからこそ陰鬱とした感情に苛まれるが、ここは気分を明るくし思い切って世界最大の祭典そのものを楽しむという方向に開き直ったほうが前向きになれる。
日本代表以外のチームにも楽しみを見出せば、今からでもW杯は待ち遠しくなる。
ワールドカップという4年に1度の素晴らしいイベントをもっと楽しみにもいいのではないか、少し日本代表が不調なぐらいで暗いムードになるというのはなんとももったいないことだ。
まるで今の日本サッカーを取り巻く環境は一部の好きな人だけが見ているマニアックなマイナースポーツのようだ。
今の日本の風潮がそうさせるのか、日常に生きていればひたすら視野が矮小になり、縮こまったような視点や態度しか持たないようになってくる。
日本自体が小さくなりつつある時代に、更に日本しか見なくなっているというのが今の日本人の傾向だ。
壮大な夢を持つべきなのか、手軽に身近な範囲内で手に入るささやかな幸せを求めるべきなのか。
もう今の日本人は広大な世界で上を目指すことよりも、選手の食事シーンのような身近な親近感に癒しを求めるようになっている。
その果てしない夢が叶わないとどこかで悟ったからこそ、日常にあるような小さな幸せが人々を惹きつけている。
今、情熱と夢無き日本のサッカーは非常につまらない時間が続いている。
それはサッカーの試合中に中々マイボールにならなかったり、思うようなプレーができなかったりするようなものだ。
しかしその我慢の時間帯を乗り切ることもサッカーの世界では必要な事なのではないだろうか。