elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

若いオタクがアニメやゲームでおっさん趣味に目覚める現象について

最近ウマ娘の人気は凄く、完全に日本の競馬というローカルな題材にも関わらず海外でも話題になり始めている。

日本という枠組みというかもはや日本内での世代や性別という層ですらローカルなものになっていた競馬が思わぬ形で人気になるのだからすごい現象だ。一昔前の艦これに近い。

 

若いオタクが競馬に興味を持った、といってもまぁオタク自体高齢化しているので実際は30代以上がサイレントマジョリティーだろう。ソシャゲやなろう系ラノベも3,40代のおじさんが多い。そしてこういう世代は叩かれがちなのだ。

本当の意味で普通に生きてるだけなのにそれが世間から許されない現代日本人男性

 

正直自分は前回も書いたようにウマ娘は気持ち悪い設定だなと思っているのだが、自分もそれに似た作品が好きだし、ウマ娘が人気になればなるほどフェミニストがイライラするので歓迎である。皆ワイワイしてるのにこういう時ノリ悪く怒ってるのはいつもフェミニストだ。

女性も女性でこういうコンテンツに寛容になったほうが今度は自分たち好みのものが作られやすいので応援した方がいいどころか、元々競馬女子も多いので受け入れられやすいようだ。そして競馬以上に女子ウケの悪い軍艦モチーフの艦これでさえ女性ファンはいた。

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ウマ娘はまさに利害一致だろう。

まぁ若者と言っても30代ぐらいだろうが、それでも競馬というコンテンツの維持にとっては大事だし、深い趣味を持っていなかった人にとっても長期的に楽しめる居場所になる。割と最近はこういったオタク萌え化を嫌うどころかコンテンツの発展や復興、町おこしになるという効果が知られて既存層も暖かく歓迎する風潮になっているため、元々競馬好きだった層もハマっている。

それこそ艦これやガルパン効果で長らく不振だったスケールモデルが久しぶりに新商品出まくったみたいなこともある。

 

そもそも「男はおっさんになるとなぜ蕎麦打ちを始めるのか」というようなもので、男はなぜかおっさん趣味に目覚めるものである。

芸能人でも突然謎の趣味に凝りだすおじさんは多い。

もちろんおっさん趣味に目覚める女性もいる。それは女性の趣味に目覚める男性もいるようなもので。残念ながら前者と違い後者は歓迎されないが笑

 

なぜならばいわゆる「オッサン趣味」というのは奥が深く、なんだかんだでコンテンツ人口も多いので安泰だからだ。

おっさんが若者に対抗するには経済力以外に人生の積み重ねによる奥深さ以外にはない、そして体力が衰えても関係ないことが重要なわけだ。時計とかゴルフ、骨董、高級酒はまさにそうだろう。

 

そして世間から悪者にされやすいというか迫害されやすいおっさんにとって(そしてそれは男であれば誰しもがなる)、こういうオッサンの居場所というのは残っててもらわないと将来困るわけである。

今では結婚や普通の人生のハードルも高いし、苦労して家族作ったところで離婚するかもしれないし、娘や嫁から疎まれるかもしれない。それが中年男性の悲哀だ。特にこれからは男性の未婚率は上がっていくわけで誰しも孤独とは無縁ではない。

 

まずおっさん趣味のいいところは既に語れる先駆者が多く、歴史も積み重ねられているのでいわゆるオタク気質というかマニア気質の人間にとってはどれも楽しいわけである。

 

結局若者人気だけのコンテンツって底が浅い上に、ファンの民度が低いというかノリがキツいことが多い。誰しも自分がそういう若者だったというのはともかくとして笑

 

自分も昔は昭和うぜぇとかダセェとか思ってたし、競馬や相撲は今でも興味ないけど昭和芸能やアニメとかはその雰囲気がなぜか懐かしくなる。8,90年代の全盛期セリエAの雰囲気とか最高だ。

鉄道オタクの少年が国鉄時代の香りがすると経験してもないのに思うように、ロシアの若い世代が旧ソ連時代に憧れるように。

ハイスコアガールを見て昔の格ゲーの熱気を感じるとかでもいい。史跡巡りのようなものも広義の意味ではそういった浪漫趣味だ。

自分も昭和ボクシングの世界に憧れを感じるし、サッカー目的でスポーツ雑誌読むときも暇だったら競馬や相撲でも読むことはある。読んでみれば歴史があって面白いからだ。

 

これから衰退し少子高齢化が進む日本において(日本だけでなく先進国全て)、いわゆる特定の世代だけのコンテンツというものは生き残りが難しくいわゆる「オワコン」になりやすい。

 

典型的な例で言えばドラゴンボールガンダムは長寿コンテンツであり続けるし、デジモンは廃れてもポケモンは数十年後もコンテンツ展開がされている可能性が高い。このようにこれから二番手コンテンツというのは徐々に縮小していき、昔からある一番手に人口が集中するという「コンテンツ廃村現象」が起こる。あるいは新しいものに二番手だったものは代替され、それもまた衰退し一番手が生き残る。

 

デジモンはほとんどゆとり世代限定で上にも下にも通じないが、ポケモンポケモンGOなどで幅広い世代に受け入れられている。そういった過疎コンテンツ難民は結局一番手コンテンツに移民せざるを得ない。

最近でこそゾイドがやや復活したもののロボット物もガンダムぐらいしか大きく規模を維持できない時代だ。ニッチなジャンルにも様々な選択肢があったのは日本人が若くて裕福だったからだ。

ネット時代趣味が細分化したと言われるが、本当は細分化の中では寡占が起きていて選択肢はむしろ少ない。ゲームも初動で人気となったタイトルにだけ人が集まるので昔よりなんだか多様性が無いように思える現象がある。

 

一昔前のオタクコンテンツは一度流行れば数年はじっくり語られるものだったし、それくらいコアないわゆる「オタク」がネットに多かった。

今のオタクは流行やコミュニケーション重視なのでじっくり考察したり熱く好きなものを語るタイプは少なくなっている。コンテンツの消費速度も早くなった。古き良きオタクが今のネットに寂しさを感じるのはこのためだろう。

 

だが、その消えたオタクってまさにおっさん達なのだ。鬼滅の刃もなんだかんだで「きめおじ」だの「きめおば」だのおじおばがオタク的な追求をしていた。

典型的なオタクに見えないだけで気づかないかもしれないが実は自然とオッサンは中身オタクになっているのである。

 

自分はウマ娘にも競馬にも興味がないしプレーしようとも思わないが、ウマ娘にはまったオタクたちはきっと競馬おじさんたちの造詣の深さや新規に対する紳士的な態度に驚いたのではないだろうか。

本来オタク文化というのはそういう憧れの先輩がいてこそ継承されてきた。

 

ゆとり世代でも霜降り明星は「昭和に憧れるゆとり世代」の典型だ。せいやは70年代の昭和歌謡に異様に詳しく、粗品も昭和芸人的な破天荒な芸人らしい生き様を好んでいる。

粗品の影響で、競艇などのギャンブルに憧れる若者は増えている。何もかもが健全化、クリーン化する時代だからこそ逆行したいと思う心理もある。

クレしんのオトナ帝国の逆襲を見たことないけど懐かしいと思うとか、親が持ってた古い漫画味わいあるとか。もう最近だと親が余裕でゲーム世代だろう。人間誰しもオタク的だ。

 

自分は数年前にとある意識低い系中年男性の個人ブログを見ていたのだが、そこで競馬場行って缶酎ハイ飲みながら安い銭だけを賭けるという休日をブログ仲間同士でしている姿を見てなんといいものだろうと思った。これぞ細やかな独身男性の楽しみだと。

競馬はそもそもウマ娘以前から小嶋陽菜のように女性でも好きな人はいたし、流行ってる今だとかつてのような雰囲気は無いだろう。

それよりは自分はどちらかというと「場末の競輪場」に憧れていて実際に行こうと思った事もある。

 

何というかアングラ的と言うわけではないがリアルで濃くて人情味がある場所って、ネット時代だからこそリアルにあるもので、それって結局おっさんコンテンツが多いわけだ。

SNSは一ヶ月投稿しなくても誰も反応や心配してくれないかもしれないけど、行きつけの居酒屋に一ヶ月ぶりに行ったりそこで常連客と久しぶりにあったりすると盛り上がるんだよなぁみたいな話でさ。おやじが休日温泉行くみたいなのも体力回復と同時に常連客と会うみたいなのもあるからだ。

 

一時的な流行りのコンテンツで繋がってもそれは「そのゲームやってるときだけ友達」であって「友達だから同じゲームやってる」とは順序が異なる。そのゲームをやらなくなると自然と離散するが、本当の友人は同じゲームして無くても普通に話すものだ。

 

おっさんコンテンツの方が長続きしやすいし、にわかからコアな人まで多い。そして自分もおっさんになる。

自分の場合サッカーは特にそうだ。歴史も長いし世界中に文化があるので興味が尽きない。

更に人類が生存する限り、少なくとも自分が生きている内は更新されるコンテンツだ。海外とか小さな子供からお爺ちゃんまで語れるし、自分も居酒屋やバーでサッカーの話になったときは盛り上がる。

早くヨーロッパや南米にいるサッカーばかりうだうだ語ってるおやじになりたいとさえ思っている程だ。日本でも大杉漣の徳島愛はこれぞサポーターのあるべき姿だと思わされた。

 

プロ野球は田舎にはチームがないがサッカーは貧しくても日本のどの県にも下部リーグであれクラブがあるし、途上国含め世界中にもある。田舎や途上国にあることの大事さはそこで育った人間にしかわからないものだ。

そういうところを巡って、試合見たあとに居酒屋行くみたいな旅も面白いし、それは数十年後も存在しているだろう。おっさんコンテンツにはそういう人情味ある雰囲気や暖かい情緒のようなものがある。

 

小泉進次郎並に当たり前のことを書くが、既存のおっさん達も元々おっさん趣味のおっさんだったわけではなく、おっさんになったからおっさんなのだ。

 

そして氷河期世代は既にそうなり始めてるし、ゆとり世代もその準備は始めておくべきだろう。自分たちの世代のものでおっさん趣味として定着するものも欲しいし、上の世代が好きなものにも納得する魅力がある。

 

将棋など典型だが一生追求可能な趣味というのはいろんな世代に支持されていて永続的なものだ。

一昔前は将棋なんて爺さんのものでカードゲームこそ子供や若者のものだと言われてたけど、TCGこそただ既存層のためのものになった。

将棋は才能と努力次第で藤井聡太みたいに大人を倒せるけど、TCGやソシャゲは金持ってる大人に子供が泣かされるだけなんだよなぁ

 

結局既存層限定の閉じコンというのは底が浅い上に、新規も復帰勢も参入しにくい構造がある。しかも中途半端に歴史が短いので、本当のおっさんコンテンツのような懐の深さやおおらかさが無い。

 

競馬もイギリスの貴族の文化から発展して、今でも一流スポーツ選手が引退したあとに馬を保有することがステータスだし、サッカークラブや野球の球団を持つのも大富豪のステータスだ。eスポーツやカードゲームは上手くても強くても気持ち悪いだけだが普通のスポーツは同じ遊びでも社会的地位がある。

おっさん趣味というのはそういう社会的ステータスもある程度保証されているわけだ。これも順序の問題で奥深いからステータスがある。

 

本当にTCGやゲーム好きなオタクほど「俺達いい大人なのにくだらないことやってます、そりゃこんなもの底が浅いから世間では差別されて当然だよ」「そもそもまともな大人であればこんなおもちゃではなく骨董やヴィンテージをコレクションしてる」と自虐気味にコソコソやって凄いものだとイキらないのよ。そしてそういう本当にコンテンツ愛ある人たちの積み重ねで本物になっていく。

 

何が言いたいかというとおっさん趣味の奥深さにはそれなりの訳がある。逆に言えば「おっさんになっても飽きずに続けられるからおっさん趣味になっている」とも言える。

普通は大人になれば飽きるのが大体の遊びだが、それでも飽きない選ばれた趣味がいわゆるおっさん趣味になっているというのが真相だ。おっさん趣味というのは悪いことではなくむしろいいことだ。

 

サッカー日本代表監督イビチャ・オシムがこう言っていた、「数学者としての道も親から求められたがサッカーのせいで人生を無駄にしてしまった」と。

 

こういった奥深い趣味は古くなればなるほど良かったり、常に研究が更新されたり、ファンがあらゆる世代にいたりするのが特徴だ。まさに終わらない物語が続いていく。今後こういった終わらないコンテンツが重要になってくる。終わらないというのはそれだけ底が深いということで、子供も結局は魅力に気づく。

あるいは子供の頃の好奇心を失わずにいられる。男は誰しもおっさんになるし、おっさんは誰しも若者や少年だったのだからそりゃ共通点はいくらでもある。

そう考えるとこの現象は当然のことなのだろう。

人間は必ず衰え歳を取る生き物だからこそ、何かの趣味で積み重ねを持ちアップデートを怠らない事が大事であるように思う。というか、そこを求めることに執着しなければ辛いというか自我が保てなくなるのもまたおっさんの悲哀だろう笑