ただのチーズ牛丼趣味、あるいは弱者男性趣味という表現が適切で本来の意味では決してオタク的だとは言えない。
自分は「オタク:社会性はないが好きなものは熱心に探求する生き物」と認識しているが、いわゆるバチャ豚やカオナシと呼ばれる層は集中してアニメ見るのに疲れたからとか、無趣味で他にやることがないからとか、単に孤独で居場所や一体感や疑似恋愛感が欲しいからという理由でバーチャルユーチューバーを見ているに過ぎない。
もはやオタクジャンルですら特技や専門分野がなく、まるでポルノのように消費しているだけでこういったものはオタク的ではないのではないかと考える。
本当にアダルトビデオを研究しているのであればまだしも性欲処理に使っているだけだとすればそれは成人男性の趣味とは言えないだろう。キャバクラも全国を巡って研究していればもはやキャバクラ専門家だがちょっと通っているだけではいい年した男の趣味として語れるほどのものではない。風俗ライターのレベルになればこれもオタク的だと言えるがバチャ豚達はただ弱者男性の憩いの場として消極的に流行りを選んでいるだけで専門性が無い。
よく言われることだがこれまでキャバクラやガールズバーに行けなかった陰キャ層を取り込んだわけである。
バーチャルユーチューバーは絵柄がオタクくんには怖くないキャラデザで、反対に直に女性に対面してお金を払ってこちらが受け身な嬢を楽しませるのがその手の店である。一般女性は女性の特性として更に待ちの姿勢である。それは陰キャ男性にはキツイことなのである。女性の受け身な姿勢を転換させられるには生物学的にオスとして魅力が相当あるかハイスペ上位男性だけだからだ。
これらの現象は現代のオタクの意味合いが徐々に「萌え豚趣味を愛するキモオタ」とか「総合的に低スペックな弱者男性」的なものになってきているというのが本質だ。
ではそこまで「本来のオタク」というのであれば具体例を出さなければならない。
自分が個人的にオタクだなと思うのはドラゴンボールや両津勘吉、格は下がるがケロロ軍曹の作者あたりはこの人本当の意味でオタクだなと思うし、ウザがられているが岡田斗司夫なんかも本来的なオタクだろう。
オタクというのはちょっと興味持ったらすぐ調べたり書籍買ったりしてどんどん趣味が波及して幅広い素養を身につける生き物だった。現代ではググる能力もないし受け身であるか限られた場所だけを見るようになってかえってネットリテラシーは低下しているという事情もあるだろう。そして蛸壺化している。
こち亀はそれこそバーチャルユーチューバーも登場するぐらい時代のオタク文化を反映しているし予想もしている。
こち亀作者の情熱やオタク的探究心こそ本物だと思うし、鳥山明も何でも描ける引き出しの多さが名作を産んだのだろう。
自分はサッカーが好きで、未だに海外の選手がドラゴンボールを取り入れたり愛を語ったりしていて数年で消費される一時期の萌え豚趣味とは全然違うなと感じる。
このようにオタクというのはファッションやリア充の遊びは語れないがマニアックなことは「そんなことまで語れるの」というぐらい語れるの生き物なのである。
それが安易な萌え豚趣味やバチャ豚趣味はオタクの中でも程度が低い安易な簡単なものでしかないし性欲に近いものなので誰でもある欲求でしかない。ただ女の子が話してるのを見たいか疑似恋愛的な話をしたいだけなので。
無論、他のことを語れた上でそういう趣味もあるのは全然悪いことではない。
oomonoyoutubersokuhou.blogo.jp
とあるバチャ豚が「オタク名乗ってるのにVtuberも語れないやつは気味が悪い」と書いていたが、いや逆だと。
オタク名乗ってるのにミリタリーやらガンダムやら語れず萌え豚趣味しかないやつこそ、オタクでもなんでもなくただの無趣味に近いチーズ牛丼趣味しかない弱者男性である。オタクの世界ですら特技がない人々だ。
Vtuber系はASMRが伸びることが多いようだが、それはマイルドなアダルトであってそんなものをいっぱい見ているからといってオタクや成人男性の趣味や教養とは言えないわけである。
人間は必ず老いておっさんやおばさんになる。
そういうとき例えば居酒屋探訪家の太田和彦のようにお酒や昭和歌謡の素養があるとかっこいいおっさんなわけだ。
チーズ牛丼萌え豚趣味しかやってこなかったようなオタクがおっさんになったら悲惨ですよほんと。同じオタクからも軽蔑される。
「子供じみた絵柄やキャンキャンした萌声のキャラクターからでしか世の中の物事を見つけられないのが萌え豚」的な話を自分は別の記事でも引用ことがあるが、例えば今のウマ娘で、それまで戦前から男の趣味としてあった競馬に気付く人々が典型だ。
また数年前、艦これブームのとき艦これのキャラは好きだけど軍艦や史実の興味にまではいかないというオタクも大勢いた。
オタクじゃなくても、昔よりカジュアルに普及したFPSを好きな若者が実銃や歴史の関心にまでは至らない。
オタクたるものちゃんと興味を持てと押し付けるわけではないが、そういう奴らを見てると残念だなと思うわけだ。
いや、陽キャの学生がコミュニケーションツールとして流行りのFPSして実銃にそんな関心ないのは別にいいのよ笑
彼らからすれば多くある遊びでしかなく成長とともにいろんな遊びに移っていく。
だけどオタクともあろうものが萌えの入口で終わって次々コンテンツ移っていくのはため息が出る。どうせウマ娘やってた奴らも次はブルーアーカイブに移って消費していくだけだ。
「これまで歴史が続いてきたコンテンツには奥深い世界があるとウマ娘で気付いた」なんて事を言ってるキモオタも口だけだろう。社会不適合者だけど趣味はめちゃくちゃ追求する実は面倒で面白い奴らであるオタクが、その唯一の取り柄さえ失ってただ可愛いキャラや声優、バチャという実質的な配信者だけ表面的に追いかける浅いだけの人間として成熟してない幼い奴らになったら終わりというか、自然発生的に生まれたオタクというものが商業主義に食いつぶされて来ていると。
いや、オタク文化なぞ高尚なものではないし宮崎駿も富野由悠季も昔からこんなもの商業主義で立派なものではないというスタンスではあるが、それらを更にいくとこまで浅いものにしてきているのが現代である。
総合的に低スペックで成熟しておらずいつまでも幼稚なものを好む幼き弱者男性に餌を上げてブクブク太らせて回収する家畜業となった。
オタク文化の普及の対価や代償として、自然発生的に裏でコソコソやって程よく商業主義と共存していたものが大衆的な物になってきているのだろう。大衆的であること自体は悪いことではないもちろん。
鳥山明、こち亀原作者の秋本治ら昔のオタクがオタク差別のキツイ野生から生まれた強靭なオタク気質の持ち主というある意味エリートだとしたら今のオタクは培養や養殖されて野生のオタクの血が弱まっているんだよ(ちょっと何をいってるかわからない)
いや、「ちょっと何をいってるかわからない」という定型文フレーズも若者はよく使うけど割とこれ戦犯ワードよなぁ。長文アレルギーや議論アレルギー的なにわかオタクを増やして、オタクコンテンツを浅く消費することを是としてしまった一因とも言える。
まあみんながみんなそこまでオタク気質になる必要はなく結局そういう気質の持ち主は人口の数%に限られるわけで彼らだけでコソコソやるのが正当な姿で別にわからなくてもいいというか昔からそういう層がほとんどではあった。
それこそゆとりの自分が知らない時代から続く同じ構図だろう。
「オタクじゃないけどオタクコンテンツに触れる層」が増えただけの話で。
こち亀の秋本治やテコ朴の人権派義士のように膨大なおたく的素養があってバーチャルユーチューバーや萌ソシャゲをエンジョイするのは素晴らしいというか、真のオタクだからこそ偏見無しでどんな最新のオタクコンテンツも楽しむことができるし、キスマイの宮田俊哉やSnow Manの佐久間大介、イーグルスの田中将大のように本業凄くて萌え趣味やってるみたいなのは格好がつく。
問題は他に特技もないのに萌え豚趣味だけやってこれがオタクだと思ってる奴らである。
学生時代までは萌え豚趣味やってりゃ、かっこいいやつになれないからこそキモさをアイデンティティだと思い「俺最高にキメェぜwニチャア」とある意味イキれたけどおっさんでそんなこと何の積み重ねにもならないし、この手の萌え豚趣味は数年後ですら誰も語らないしなんの素養にもならない。
涼宮ハルヒの憂鬱以降の2000年代後半アニメですら語られなくなってきてるし、機動戦艦ナデシコやデ・ジ・キャラット、ギャラクシーエンジェルを語ってるおっさんなんてもっと居場所がない。
「そんなオタク趣味よりもっと積み重ねてくるべき素養があっただろう」としか思われないわけだ。
これが例えばゴジラみたい歴史あるコンテンツだとサッカー実況アナウンサーの倉敷保雄のように素養になるし、ジャニーズなんかも当時のメンバーが未だに活動してるから90年代の話などもよく出てくる。
新しい世代のメンバーが先輩をリスペクトして受け継ぐのもあるし、ジャニオタがまず昔のことを熱く語る文化がある。
女が飽きが早くワーキャーしたミーハーと思いきや、男こそ流行り追っかけのミーハーだよなと。
今はコンテンツ消費スピードが早すぎて、段々とオタク文化ですらその時に流行ってるものをやることが正義というか、昔の話がどんどん通用しなくなっていくし語る人も少なくなっていく。
それこそハルヒなんてステマ流行ったようなものだしそれに乗ってた自分が言うことではないけども(ハルヒ以前であればドクロちゃん、シスプリ、宇宙のステルヴィア、ローゼンメイデン1期、ちょっと後であれば京アニ版KANONも好き)、実はオタクの王道の振りしてて亜流の文化でしかないのだ萌系など。その延長であるバーチャルユーチューバーやソシャゲなどもそう。
自分のオタク気質や探究心を満足させられるのはそういうのじゃないし、常に研究が進み過去にも発見があるミリタリーやサッカー、お酒に行き着くわけだ。よく昔ほどアニメにはまれなくなるというがそれは当たり前で、普通精神面での成熟や老いに対して浅い萌え豚趣味はつまらなくなっていくことが自然だ。
趣味や教養がちゃんとあるおっさんは彼らなりに大人の趣味を見つけているからかっこいいおっさんや爺さんなのである。精神的に若いのではなく幼い萌豚はいつまでもそればかり見ていているということである。
例えばスポーツはずっと脈々と続くものでサッカーから派生してスペイン近現代史のスペインの地域対立やカタルーニャの歴史、フランシスコ・フランコの独裁圧政の探求にも繋がっていく。あとは自分はKPOPから入り韓国のネットを見ていくうちに韓国語も覚えてきて朴正煕軍事独裁時代や、お酒と合わせて韓国の飲酒文化、現代韓国のオタク像なども追求している。
誰も興味持たないことで「なんでそんな知識があるんだ」と「どこからその情報引っ張ってくるんだよ」的な事がオタクなわけだ。
そしてこういったオタク批判に対して現代のオタクが耐性無いというのは以前語ったことである。
オタク叩きや差別はある意味必要なことというか常にあったことだしそれによって自己批判がおこり洗練されていく。
自分たちは市民権を得たと勘違いすれば堕落が始まる。BLMと同じで自分たちが過去に差別されていたからといって何でもしていいというわけではないし、ポリコレを使えない陰キャ男性は差別される運命にある。だからこそ、せめて自分のオタクジャンルを真摯に追求していくしかないんだというのが自分のオタクとしてのオタク論である。