なぜ自分は厨二病の夢であるチェスを辞めFIFAに専念したのか
かつて自分はチェス少年というか始めた年齢が遅いので青年だった。
『コードギアス反逆のルルーシュ』の主人公に憧れチェスを始めるも才能なくて諦めたという話は数年前に書いた。
これがこれから話すことのプロローグである。
話の前提として読んでもらえればより心情の深い部分がわかってもらえるかもしれない。
ただアニメに憧れるだけでなくオンラインで海外勢と対戦し、お小遣いを投入しスペイン産の高級木製チェスセットを購入し、様々な歴代レジェンド棋士について学び、チェスを扱った映画まで見るほどガチだったが自分の夢は破れた。日本がチェス後進国だからというわけではない、単に自分自身が才能の限界を感じたからである。自分が将棋嫌いで逆張り根性でチェスかぶれだっただけで、将棋をやっていたとしたら普通にクラス内の将棋でも弱かったであろう程だ。
自分でやっていても「ああ、自分この競技はセンスないな」とわかるほどだった。
そんな自分は今でもラトビアの魔術師と呼ばれたミハイルタリを尊敬している。タリこそ自分が憧れる理想のチェスプレイヤーだ。決して最強では無いが奇人そのもの。チェスの美しさを求め攻撃的スタイルの奇策を愛するこういった一部に特化した特異な天才にこそ惹かれる。
しかしチェスの夢に破れた自分はその後、本田圭佑が活躍した南アフリカワールドカップでサッカーいう世界に目覚めていく。よくある話だが実はその後、その夢が破れたチェスで培った感覚や経験が生きてくる。
チェスや将棋は本質的に言えば理詰めやひらめきのセンスを合わせて相手に王手、チェスではチェックをかける事で勝敗が決する。
サッカーも実はこれで「相手のゴールにどう決めるか」というのは緻密な理論の世界、だからこそ意外と内向的なオタクタイプがこの世界にのめり込み。実際、サッカー界最高の監督とも評されるグアルディオラという現マンチェスターシティの指揮官が典型的なそういうこじらせた追求型のタイプである。
かつてはヨハン・クライフ、アリゴ・サッキなどのようにわりと歴代のチェスや将棋の名手、時には軍人とも似た共通点がありオタク気質の人たちこそサッカーは面白いと自分は思っている。
そんな自分はそのサッカーを扱ったスポーツゲームであるFIFAをやるようになった。元帰宅部なので現実でサッカーをやる身体能力や体育会系でやっていく根性がないからだ。
自分はそういった弱点は素直に認める。
そして自分はこのFIFAでこそ「自分はやれる」という感覚を得た。
FIFAでバルサ勝利祈願にバルサvsセビージャ
— エルケンティキタカ (@Elkenty11) 2022年9月3日
デンベレがアーリークロスでレヴァンドフスキにこれくらいはアシストしてくれるだろう pic.twitter.com/8FWE8O4SFL
このゴールシーンのとおり「ああ、自分は上手いこと独自のセンスや技術ではめたな」という充足感こそあらゆるゲームやスポーツをやっていて欲しいものである。
自分のセンスの面白さを感じたいのだ。こういったプレーこそ自分にとって新たな創作でもある。
「我ながらいいなこのプレー」ということがチェス時代には無かった。
FIFAをやっていると自分のセンスを感じられること、より磨こうと思えることが多い。無論、それ以上に自分の愚かさを感じることも多いが。
そして自分は得た、客観的な指標を
FIFAの中にスキルゲームといういわばミニゲーム的なものがあるのだが、そのドリブル分野で自分は世界ランク1位となった。まあスイッチ版なので人口はPS版などより少ないがそれでもこのランキングに載るのはきつかったしまさか自分が1位を取れるとは思わなかった。
ドリブルこそ自分のプレースタイルを象徴する中心的役割だと思っているのでだからこそ客観的な指標が欲しかったわけだ。
「自分がやっているFIFAのプレーはドリブルが武器なのでどうぞ見てください」と、言えるために。
途中まで懸命にやって7位ぐらいで満足していたが上に一人日本人がいたのでせめてアジア1位だけは取りたいと思っていたらフランス、アイルランド、スペイン、メキシコというサッカー強豪国を超えた。
努力を続けて運が味方してくれた。
それもこれも飼い猫が枕にするぐらい小さなニンテンドースイッチのたったこの1機から始まったことである。
何が言いたいかというと結局、ゲームは皆がやっているという流行りとかではなく自分がやりたいプレーができるかどうか、その才能や素質があるかどうか。
自分はチェスを「ああ、もう自分はこんなに憧れてたのに無理だな」ときっぱり諦めた。強くなくてもいいのだが「自分に酔いしれられる満足行くプレー」すらないことが駄目なんだな。チェスで自分は自分自身の対局に感動することができなかったから辞めたし、FIFAでは我ながら酔いしれることがある。
究極のところそこまで他人は褒めてくれないので自分が自分を承認するしかないのが一般のゲーマーの宿命である。
ゲームやスポーツの一番のファンは自分、自己満足だから。その自分が自分自身に熱狂できなければ終わりなんだ。だからこそ自分自身が自分の最大のファンになれるジャンルを選ぶべきなのである。