小柳ルミ子「栗栖庭路惨(くりすていろざん)、あの男はバロンドール授賞式から逃げ回っている臆病者です...」
路殺の刃OP飯蓮華(めれんげ)
強くなれる自分を知った
僕を連れて進め〜
(サビのアントネッラと不気味に振り返るクリロナ=路惨)
(錆兎と真菰のシーンはかつてバロン強奪されたリベリーとノイアー)
誰かのために強くなれるなら
(メッシ=玲央治郎の5人抜き映像)
消せない夢も止まれない今も
(鞠をボレーで弾き返す飯田玲央治郎)
何度でも立ち上がれ〜
(モドリッチ、シャビ、イブラなど路殺隊柱メンバーが満月を背景に日映る)
世界に打ちのめされて負ける意味を知った
(善逸ネイマール、雷の呼吸)
運命を照らしてー
(メッシのクラシコロスタイムゴールとユニ掲げパフォーマンス)
鬼滅の刃もついに無限列車編再放送が終わり、いよいよ待ちに待った遊郭編が始まろうとしていて、また鬼滅でうざい日々が始まろうとしていると鬱陶しい人もいるだろうが鬼滅熱によるパロネタを今回考えてみる。
自分は、鬼殺隊だったら蛇柱の伊黒小芭内(いぐろおばない)に憧れるが、風柱の不死川実弥(しなずがわさねみ)の日輪刀もかっけぇなあと思っている。
鬼滅ごっこするんだったらキッズ時代のこの役空いてたら選んでそう。
煉獄倒されたあとの蛇は「俺は信じない」とクール、風は「醜い鬼どもは俺が殲滅する」と好戦的
まずこの背景、長きにわたるメッシVSロナウド論争というテーマがあり再三自分もこの話をしているのだが本当に鬼(=ロナウド派)はいつも卑怯極まりなく悪質な存在である。
正々堂々とした議論を拒み、常に都合の良いときだけ鬼が夜にだけ活動するように有利なステージでしか戦わない。
ラスボスのクリスティアーノ・ロナウド本人も都合の悪いことからは逃げ回るまさに鬼舞辻無惨のような存在だ。
日の呼吸のメッシは、父とも言えるマラドーナから神楽を受け継ぎ、しかし必ずしも父親を超えたというわけではない。
マラドーナとメッシの関係はまさに炭治郎と親父の関係のようだ。
これは鬼狩りならぬ栗狩り、そして鬼殺隊ではなく路殺隊
栗栖庭路惨を仕留めるための果てしなき戦いである。
鬼滅の無惨様は一見カリスマ性があるが人間的に小物で、恐怖と威圧で支配している。
これはまさにロナウド、いや路惨に当てはまる。
そしてそんな小物を崇める鬼ども(ロナウドの崇拝者)がいる。
主要な戦術は血鬼術、いや、血路術(印象操作)だ。
奴らは一つ一つ地味な戦いで潰していかなければならず常に有利な場所(一部の得点データや印象論)でしか戦わない。
「俺はお前たちから逃げてるんじゃない太陽(たいよう)から逃げているんだ」ではなく、奴らは内容(ないよう)から逃げているんだ、そんな存在だ。
とにかくこの世界の路惨に仕える鬼達は太陽ではなく内容に弱い。
「俺たち路殺隊はいつだってお前たちの有利な論法で戦ってるんだぞ!!!逃げるな!威武羅さんは負けてなんかない!卑怯者おおお!」
ただそれも玲央治郎が「7の呼吸」を習得した今ではもはや追い詰められたも同然。
印象操作と捏造が日常の醜く薄汚い卑怯者の鬼共もそろそろ消え失せるだろう。
口柱:沙毘(しゃび)
覇柱:威武羅(いぶら)
智柱:瑠可(るか)